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鹿児島県生活科・総合的学習教育研究協議会掲示板


再考「ラーニングピラミッド」 by kozoon [ 2019/02/26(Tue) 22:08:00 ]
 約1年ぶりの書き込みです。
 今回は,「再考!ラーニングピラミッド」です。ラーニングピラミッドが意味することはなんでしょうか?講義型の授業を否定し,グループ討論や実体験や教える活動など,ALの考え方による部分を肯定するといったことでしょうか。また,最近耳にするのは,「インプットとアウトプット」です。このものさしで,ラーニングピラミッドを見ると,頂上付近にインプット型の活動が,裾の部分にアウトプット型の活動が並んでいることが分かります。ということは,決して,講義や読書などの活動を否定するものではないことが分かります。であるならば,ラーニングピラミッドは,裾の部分の学習活動を織り交ぜながら単元もしくは授業構成をしようってことを意味しているのではないでしょうか。ということは,結果的に,「何が新しいの?」という結論に至ってしまいました。では,何が新しいのでしょうか。もっと言えば,私たちはラーニングピラミッドから,何かイノベーションが起こせないのでしょうか??
 ラーニングピラミッド(以下LP)は,「他者に教える活動」が最高の理解度を生むと語っています。ですから,端的に言えば,学習過程に教えるという学習活動を入れましょうってことになるのです。単元の中で・・・というのは,いろいろ考えられるので,今回は,普段の45分の授業では??という狭い視点で考えてみたいと思います。
 では,子どもにとって「教える」必然性はどこから生まれるのでしょうか。「教える」には,「教えてもらう」側が必要です。クラス全体が教える側に回ることはできるのでしょうか。また,何を,どうやって教えればよいのでしょうか??
 要は,授業終末に「教える姿」を表出させたいのです。クラス全員が教える側に回るには,自分の考えを教えるしかありません。そうすることによって,学級の一人一人を「異なる個」にしていくのです。この「異なる」がポイントになってきそうです。人は,異質なものと出会うと,教えたくなりますし聞きたくなります。
 自分の考えを述べればよいのですが,授業には,必ず学習内容があります。これは,知識・技能みたいなものです(すべてではありませんが)。これをしっかりと踏まえてもらわないと,つけたい力が付いたとは言えません。
 前の2段落をまとめると,「本時の学習内容を踏まえて,自分の考えを教える」ということになると思います。前段は知的な側面で,後段はやや情意的な側面ともいえるかもしれません。生活科の「気付き」と同じですね。こういった姿を,授業の終りに表出させたいと考えました。
 では,どんな過程を経れば,この姿が表出されるのでしょうか。続きは,またの機会に!!
Re: 再考「ラーニングピラミッド」 by やまぐち [ 2019/03/04(Mon) 02:24:36 ]
 こんばんは。久しぶりにホームページを訪れてみました。
 なんと書き込みがあるではありませんか。時間も忘れて、読み入ってしまいました。なかなか面白い考えですね、LPは私の研究室にも張っていて、よく見ます。教えることができれば、一番いい学びが成立したことになるのでしょうが、いつもの時間の中で「教える必然性」はなかなか生まれません。
 なぜなら、自分ができることができることは喜びでも、他者ができることが同程度に喜びであるという学習経験が積み重ねられていないからだと考えています。
 とすれば、まず毎日の時間で自分の考えができたら、席を自由に立って他者と交流できる場面を数多く持つことから始めたいものです。
 他者がそのかかわり、すなわち教えてもらったことに喜びを感じたことが伝えられれば、おのずと教えたいという気持ちが生まれてくるのではないかと考えますがいかがでしょうか。
 皆さんの意見を聞かせてください。
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