[ Mobile ] [ ホームページ ホームページ ]

鹿児島県生活科・総合的学習教育研究協議会掲示板

以前使っていた掲示板が作動しなくなったので、別の掲示板に変更しました。
長くご迷惑おかけしましたが、復活です。よろしくお願いいたします。
Name Mail
Title URL
Icon   Color
File

No.135 じゃ,導入は? 返信
[ 2019/10/07(Mon) 00:21:34 ] kozoon
 パソコンを新しくして,お気に入りに協議会のHPがなくなってしまったのに気づきました。そこで,久しぶりにHPに訪れました。更新がなされておらず,少し残念な気もしますが,皆さんご多用です。仕方ないですね。この掲示板も自分が書き込んだままですかね・・・。まあ,それも仕方のないことです。
 さて,今日は,導入,つまり,目当てについて考えてみたいと思います。めあては,「なぜ〜か?」「〜は,どうすればよいか?」のように,問いになったもののと,「〜しよう」のように,方向目標をのみを掲げたものがありますよね。生活科の場合は,思いや願いが基になりますから,「〜しよう」のめあてふさわしいのかな?と思います。でも,子供によっては,問いをもっていることも事実でしょう。
 また一方で,めあてとまとめの整合を!とも言われますよね?目当てが問いの場合は,その整合は比較的簡単に説明できます。ところが,「Aしよう」の場合は,まとめは??となってしまいます。まとめは,「Aした」結果分かったことってことになるのですが,それも,それぞれですから,そもそもまとめる必要があるのかって思ってしまいます。まとめがまとまらないので,振り返りをまとめとする感じですかね・・
 じゃあ,問いのめあてを立てた授業で,まとめがあり,振り返りがあるとき,振り返りは,何と整合するのでしょうか。現段階で,これは「見通し」と整合が取れるのではないかと考えています。見通しとは,めあて(問い)のあと,その方法や結果を見通すことです。それをもとに振り返るのでないかな?と思っています。でも,振り返りの際の指示は「感想を書け〜」だけですから,おのずと,事前の「見通し」が大切ってことになりますね。
 では,方向目標型めあてと問題解決型めあて,の2つについて考えていきます。この2つは,どっちがいいわるいってことではなくて,「つながっている」と考えています。そもそも,問題解決型のめあてにおける?の気持ちはどこからくるのかというと,それは,「〜しよう」と考えやったからです。つまし,方向目標型の目当てによって活動した結果,問題解決型の目当てが生まれてくるということです。であるならば,生活科でも問題解決型の目当てがあるということですね。確かに,話し合いがメインの授業では,あるかもしれませんね。
 こう考えると,授業の過程が1個増えることになりますね。シンプルにしたいのに,逆に複雑になってしまいました。
 もっとシンプルに考えていきたいです。
 今日は,ここまで。

No.134 LPから授業の終末を変える 返信
[ 2019/04/12(Fri) 22:22:05 ] kozoon
 久々にみると反応がありました。うれしいですね。
 では,前回の続き・・・
 授業終末は,一般的に「まとめ」とか「振り返り」を行っています。では,この「まとめ」と「振り返り」はどう違うのでしょうか。「まとめ」は,学習内容のまとめです。ですから,そこには,比較的に客観的で,知的な側面が強くでた言葉になるでしょう。「振り返り」は,その授業を振り返った感想です。ですから,比較的に主観的で,情意的な側面が強くでた言葉になるかと思います。あえて,こんな分け方をしてみました。
 ということは,まとめと振り返りには,明確な違いがあり,そこには,まとめ→振り返りという順序性も明確にあることが分かります。また,振り返りまで達することで,学習内容が自分事になっていくことも見えてくるでしょう。まとめで終わってしまう授業は,極端な言い方をすれば,無味乾燥な感じさえしてしまうことになります。(言い過ぎかな?)
 なので,最近は,「振り返り」をノートに書かせるようにしてます。感想なので,なんでもいいのです。ですから,「まとめ」はみんな同じことを書いていますが,「振り返り」は,一人ひとり違うのです。
 すると,一人ひとり違うからこそ,互いに交流したくなります。私は,これが,LPの中の「教える」段階の一つかな?と思っています。学習内容そのものを教えるのではなく,学習内容を踏まえた「自分の考え」を教えるのです。こうすることによって,学習内容が,情意的な部分とつながり,より記憶がエピソード化されるのではないかと考えているのです。
 こんなことを考えていると,ふと気づいたことがあります。それは,これまで導入に費やす教材研究が多くなかったか?ということです。日頃,多忙な中にで,授業の準備・実践をしています。すると,授業前に考えるのは,どうやって導入を行おうか,どうやってめあてを設定しようか,ということばかりを考えていたように思います。もちろん,これも大事です。むしろ,その段階を教師誰しも踏むべきだろうと思います。でも,終末は,その流れに任せたり,やや強引にまとめたり,といったことが多かったように思うのです。もっと言えば,まとや振り返りもなく,時間切れになって終わってしまうこともしばしば。。。これでは,興味を抱いたとしても,確かな力までは至ってはいないでしょう。改めて,終末をじっくりと考えることの大切さに気づきました。もっと言えば,授業は,終末から逆向き設計をしなければならないのです。
 以上,LPから,授業を考えるシリーズでした!!

No.132 再考「ラーニングピラミッド」 返信
[ 2019/02/26(Tue) 22:08:00 ] kozoon
 約1年ぶりの書き込みです。
 今回は,「再考!ラーニングピラミッド」です。ラーニングピラミッドが意味することはなんでしょうか?講義型の授業を否定し,グループ討論や実体験や教える活動など,ALの考え方による部分を肯定するといったことでしょうか。また,最近耳にするのは,「インプットとアウトプット」です。このものさしで,ラーニングピラミッドを見ると,頂上付近にインプット型の活動が,裾の部分にアウトプット型の活動が並んでいることが分かります。ということは,決して,講義や読書などの活動を否定するものではないことが分かります。であるならば,ラーニングピラミッドは,裾の部分の学習活動を織り交ぜながら単元もしくは授業構成をしようってことを意味しているのではないでしょうか。ということは,結果的に,「何が新しいの?」という結論に至ってしまいました。では,何が新しいのでしょうか。もっと言えば,私たちはラーニングピラミッドから,何かイノベーションが起こせないのでしょうか??
 ラーニングピラミッド(以下LP)は,「他者に教える活動」が最高の理解度を生むと語っています。ですから,端的に言えば,学習過程に教えるという学習活動を入れましょうってことになるのです。単元の中で・・・というのは,いろいろ考えられるので,今回は,普段の45分の授業では??という狭い視点で考えてみたいと思います。
 では,子どもにとって「教える」必然性はどこから生まれるのでしょうか。「教える」には,「教えてもらう」側が必要です。クラス全体が教える側に回ることはできるのでしょうか。また,何を,どうやって教えればよいのでしょうか??
 要は,授業終末に「教える姿」を表出させたいのです。クラス全員が教える側に回るには,自分の考えを教えるしかありません。そうすることによって,学級の一人一人を「異なる個」にしていくのです。この「異なる」がポイントになってきそうです。人は,異質なものと出会うと,教えたくなりますし聞きたくなります。
 自分の考えを述べればよいのですが,授業には,必ず学習内容があります。これは,知識・技能みたいなものです(すべてではありませんが)。これをしっかりと踏まえてもらわないと,つけたい力が付いたとは言えません。
 前の2段落をまとめると,「本時の学習内容を踏まえて,自分の考えを教える」ということになると思います。前段は知的な側面で,後段はやや情意的な側面ともいえるかもしれません。生活科の「気付き」と同じですね。こういった姿を,授業の終りに表出させたいと考えました。
 では,どんな過程を経れば,この姿が表出されるのでしょうか。続きは,またの機会に!!
No.133 Re: 再考「ラーニングピラミッド」
[ 2019/03/04(Mon) 02:24:36 ] やまぐち
 こんばんは。久しぶりにホームページを訪れてみました。
 なんと書き込みがあるではありませんか。時間も忘れて、読み入ってしまいました。なかなか面白い考えですね、LPは私の研究室にも張っていて、よく見ます。教えることができれば、一番いい学びが成立したことになるのでしょうが、いつもの時間の中で「教える必然性」はなかなか生まれません。
 なぜなら、自分ができることができることは喜びでも、他者ができることが同程度に喜びであるという学習経験が積み重ねられていないからだと考えています。
 とすれば、まず毎日の時間で自分の考えができたら、席を自由に立って他者と交流できる場面を数多く持つことから始めたいものです。
 他者がそのかかわり、すなわち教えてもらったことに喜びを感じたことが伝えられれば、おのずと教えたいという気持ちが生まれてくるのではないかと考えますがいかがでしょうか。
 皆さんの意見を聞かせてください。

No.131 7年が経ちました 返信
[ 2018/03/11(Sun) 19:54:32 ] kozoon
 本日で,東日本大震災から7年です。他人事になってはいけないと思いながらも,鹿児島にいるとなかなかです。なので,ちょっと意識して,東日本大震災関連のニュースを見るようにしています。ニュースといっても,ほとんどがドキュメンタリーですけどね。
 この前,小学5年生の時に,震災で母親を失い,今年高校を卒業し,母親の職業であった介護福祉士に春からなるという男の子の話を放送していました。15〜20分ほどの特集でしたが,とても感動しました。
 次の日,学級の子どもたちに,この話をしました。中には,涙を流しながら私の話を聞く子も。。何に対して,どういった感情がその子に沸き起こったのかわかりませんが,その男の子の生き方やそれを支える家族の愛情に深く感動したのだと思います。
 東日本大震災のことを,子どもたちに語るとき,何をメッセージとして伝えられるのでしょうか?防災?エネルギー問題?生命尊重?生き方?家族愛?地域貢献?東日本大震災のどこをどう切り取るかで変わります。どこをどう切り取るかは,教師自身が東日本大震災をどう見つめるかってことによるのだろうと思うのです。
 とりとめがなくすみません。久しぶりに掲示板に書き込もうと思った今日が,3月11日だったので,記録しておこうという気持ちからでした。というわけで,今回は,生活科・総合の話にはなりませんでした・・・。

No.130 認識の概念化の続き・・・ 返信
[ 2017/05/01(Mon) 22:07:27 ] kozoon
 山口先生の意見に対して,まったく同感なんです。実は,今年は,「生活科・総合における知識の概念化とは何か」というテーマで,個人論文を書こうと思っているところです。今年の子どもたちの認識の変容を丁寧に残して,分析したら,何か分かるかな〜と思っているところです。とは言え,本校は,ツル科と総合両方のカリキュラムが重なって,身動きがとりづらい状況です。正直・・・。何とかして,コンパクトな単元でもいいので,作りたいな〜と思っているところです。そして,概念化されていく認識の過程を明らかにしたいと思っています。子供の姿の丁寧な分析を根拠に,語りたいですね!!

No.127 散歩科と遊び科 返信
[ 2017/04/27(Thu) 16:43:35 ] こじま
『正課としての散歩科と遊び科 : 成城の総合教育の実践』(1977)を古書店で購入しました。
大正自由主義教育でも中核的な役割を果たした成城学園初等学校では、終戦直後の昭和21年から正課として「散歩」科と「遊び」科をカリキュラムの中にいれていたという。そしてそれは現在も続いている。1,2,3年生にあり、理科社会は4年生からになっている点でも現在の「生活」科の先駆といっていいし、内容をみるとますますその思いを強くする。
結構なお値段でしたが、思い切って購入して良かったです。いつか皆さんにもご紹介できればとおもいます。
No.128 Re: 散歩科と遊び科
[ 2017/04/29(Sat) 21:20:04 ] やまぐち
なつかしいですね。確か、正課としての散歩科と遊び科がおかれている私立の学校です。生活科の創立当時に話題になったことを覚えています。いつも国内や公立学校だけで情報を操作していると、思考がかなり狭くなります。手に入れられた資料を読み込んで、新しい提案を期待しています。創成期の生活科は、春夏秋冬、かならず季節探しから単元をスタートしていました。ただ散歩してみる、そこなら何かが始まる予感がしますよね。
No.129 Re: 散歩科と遊び科
[ 2017/05/01(Mon) 22:00:01 ] kozoon
 恥ずかしながら,そのような歴史があったとは知りませんでした。さすが,小島先生ですね!古書店なんて,生涯入ったことがありません・・・。
 内容が,気になりますね!また,飲みながらでも語りましょう!!

No.125 知識の概念化 返信
[ 2017/04/22(Sat) 21:41:05 ] kozoon
 お久しぶりです。っていっても,このページを見てるのは,私とあと2・3人だと思いますが・・・。
 今日は,知識の概念化について考えたいと思います。なぜなら,「深い学び」が,それそのものであると考えているからです。つまり,知識を概念化することが深い学びであるということが,私の考えです。
 そのまえに,深い学びについて思うことを述べます。今回の改訂で,主体的・対話的で深い学び,といっていますが,要は,深い学びを目指そうといってるわけです。しかし,深い学びを目指そう!と言われても,じゃあ,浅い学びってなんだ?って思ってしまいます。
 ですから,私は,子どもの学びを深めよう!というふうにとらえています。深い学びを目指すのではなく,教師が,子ども一人ひとりの学びを見取り深めていきましょうといっていると捉えているわけです。そうとらえるならば,そもそも浅い学びってなんだ?という疑問にも答える必要はないわけです。
 では,学びを深めるとは,何をどうすることなのか,これが,知識を概念化するってことだと考えているのです。そう,生活科では,気付きの質を高めると,同義です。この高まりは,3つに整理されているわけですから,生活科における「知識の概念化」は,比較的,具体化されているといえるでしょう。
 では,総合における「知識の概念化」ってなんだ?ってことです。生活科で言う3つの高まりで考えるならば,「関連化」「自覚化」「自身化」ですから,総合における概念的知識とは,知識と知識が関連付けられた知識,ある知識や出来事,経験に対して自覚的に捉えた知識,活動できた自分の成長に対する知識,といったところで分類できるでしょうか??
 今,個人論文を書いています。そろそろ締切で今,追込み中です・・・。その中では,知識を3つの段階に分けてとらえています。
「直感的な知識」「論理的な知識」「概念的な知識」です。おおよそ,学びが深まっていく流れの順番です。それぞれの知識の捉えは,また,論文にて発表します。
 今日はここまで!!!!!
No.126 Re: 知識の概念化
[ 2017/04/23(Sun) 11:24:25 ] やまぐち
 なかなか面白い文章でした。これから深い学びについての議論が多くなると思います。具体的な子供の姿と結びつけながら深めていきたいですね。
 私は、生活科でいう「主体的・対話的で深い学び」とは、主体的な学びや対話的な学び自体を目指すとともに、そうすることで深い学びになるという考えだと思っています。3つの学びを並列にとらえるのか、2つの学びの先に深い学びを置くのか、これまでの知見を調べてみたいものです。
 いずれにしろ、1時間単位でとらえるというより、単元レベルで到達させたい子どもの有りようとしてカリキュラムマネジメントしたいところです。
 これまでと違うというより、これまで考えていた生活科・総合の考え方をさらに確実なものにしていきたいということだととらえます。したがって、実践と実践を比較したり、新しい単元構成で期待した学びと、実践後の子どもの有りようを丁寧に検討していくことでその具体化が図られていくものだと思います。言葉遊びにならないようにしていきたいものです。

No.123 既成概念を壊す 返信
[ 2017/04/16(Sun) 20:06:17 ] kozoon
 9年間の附属小勤務を終え,本年度から,出水市立鶴荘学園で勤務することになりました。鶴荘学園は県内初の「義務教育学校」です。小学校でもない,中学校でもない,義務教育学校です!小中連携でもなく,小中一貫でもなく,小中融合(これは,私が考えた言葉・・・)です!
 この2週間,既成概念の壁を感じる機会が多くありますが,この学校は,この既成概念を壊し,新しいスタンダードを作る,そんなやりがいのあるところです。
 まだまだ,手探りです。でも,この手探りの時期が,案外楽しいものです。先輩教師の指導をもらいながら,地域の方々に支えてもらいながら,自分なりの歩みを進めていきたいと思います。
No.124 Re: 既成概念を壊す
[ 2017/04/17(Mon) 12:23:25 ] やまぐち
 お疲れ様です。土曜日の例会でも張り切っている様子がうかがえましたが、この掲示板でも「やる気」がみなぎっています。前任校で学んだことを生かしながらも、新しく作るという楽しさ・苦しさを味わってください。はじめて生活科の単元を作った頃のことを思い出します。

No.122 平成29年度もよろしく 返信
[ 2017/04/09(Sun) 16:34:21 ] やまぐち
 久しぶり投稿します。平成29年度は桜の花も少ない中スタートしました。入学式も終わり、いよいよ明日から本格スタートという人が多いのでしょうか。私も平成29年度開設の鹿児島大学教職大学院での授業が始まります。どんなことをするかについては次の機会にしますが、各小学校の新一年生のスタートカリキュラムの実践が楽しみです。4月定例会ではこの一週間の報告を聞かせてください。また、3年生以上の総合の学習がどのように始まるかも興味津々です。自分の学年の記録を取っておいてください。共同研究をしましょう。

No.121 総合的な学習を支えるもの 返信
[ 2016/09/04(Sun) 10:43:30 ] kozoon
 総合で,今,高齢者福祉を進めています。先日は,県の社会福協議会が主催する福祉教育講座に参加して,改めて,福祉教育の大切さを学びました。そして,これから,どんな学習をしていこうかと,子どもたちと語り合いました。結局,高齢者について何を,どのように学ぶのか,子どもたちからは,あまりでてきません。経験がないので,そりゃそうです。そこで,クラスの児童のおじいさんに,福祉施設で務めている方がいたので,来校してもらい,子どもたちと学習の方向性について,語りました。そして,市の社会福祉施設の人に聞いてみようという結論に・・・。
 というように,総合的な学習をする教師を支える人や機関が必要である。教師一人でやっても,内容的に深いところまでは,なかなか行けない。やはり,プロフェッショナルには,かなわない。
 でも,行政や社会教育施設などを利用しようとしても,実際的には,みなさんそれぞれに忙しく,こちらの都合や内容に合わせてもらえることは,少ない。電話しても,あからさまに,「めんどうだな〜〜」って感じで対応されることもしばしば・・・。「〜〜なら,〜〜へご連絡を・・」って感じで繰り返されて,たらいまわし状態・・・ってこともありました。まあ,仕方ないですね・・・。
 ちょっと,後ろ向きなことばかり書いてしましたが,結局のところ,学校内だけでなく,いかに,学校を取り巻く環境を,教育的環境にしていくかってことも考えいかないと!と思っています。今回の改訂のキーワードに「開かれた教育課程」というワードがあります。そういったことも意味しているのかどうか,分かりませんが,学校外をよりよい教育環境にしていくことにつながっていくワードでなないかと思いたい。
 総合的な学習の時間の充実には,学校外の教育環境の充実が欠かせないと思うのです。これが,私の言いたいことかな??




Password © 2004-2020 83net.jp